第12回目・アドラー心理学(今を生きよう) ②劣等感はいいことだ!?

毎月最後の土曜日は、北名古屋市にて、心ってモノを探究する日。

今日は、劣等感はいいことだ!?(アドラー心理学シリーズ)

このテーマから、自分を透かし合わせて心を見つめてみた。

 

劣等感って聞いて、この言葉にピンと来ない。(そしてもう一人いた、じゅんちゃんも!笑)

この劣等感ってワードでは、何も思わない!他人事としか思えない、心が働かないワードで、劣等感ってなんなの?が第一印象。

でも、講座を進めて行く中で、劣等感って言葉ではピンと来なかった心のアンテナが、劣等コンプレックスって言葉に反応した。

コンプレックスって言われれば、ヨーガに出会う前は、いろんなコンプレックを持って気にしまくってた。

例えばね、足が短いとか太い。高いヒールを履く。足が細く見えるモノを選ぶ。

スタイルが良くない。スタイルが少しでも良く見える洋服を着る。スタイルが良く見えるよう洋服を自分に合ったサイズに直す。まつ毛が短い。つけまつ毛したりまつ毛エクステしたりね。

デブ。毎日体重計にのり、食べない。特に炭水化物。

人より目立ちたい。雑誌を見て流行を追う。ブランド品で身を固める。目立つヘアースタイル、超明るいカラーにする。

外面的な事ばかり気にしてた。

このとき、自分の内側(心)を見る?ってどーゆうこと?!内面的な事への興味や自覚がまったくなかったことにも気づいた。

こういった無自覚な思考(心)に気づいた時、その気づいた自分からみた過去の自分は、どーしてこんなに窮屈な考え方になってたんだ?なんだか心(思考)が貧しくて、可哀想にすら思えた。

 

そして

誰と比べてきたの?

誰に認められたかったの?

どうしたいの?

 

過去の自分に聞いた。

内へ内へ向かって行った。

 

すぐには答えられなかったけど、その答えを探すかのようにヨーガに没頭し、変容していく心を理解したく心理学にも没頭したのかな。

今振り返るとね。

 

だってヨーガに出会う前の当時の口癖。

なんか面白い事ない?

なんか良い事ない?

 

人に会うとよく言ってた。

無意識に言ってたこの言葉。

 

当時は、20代半ばも過ぎ、二十歳そこそこの頃の自分と何にも変わってなく思え、かと言ってこれからどーしたいのか?どーなってくのか?未来に何も期待できなくて。

そんな自分に気づけたとき、自分に問うよね?

 

あなたの言ってる『なんか面白い事ない?』面白い事って何なの?

『なんか良い事ない?』良い事って何なんですか?

具体的に教えてよ!

 

自分の面白いと思ってやってる事、出かけて行く事、付き合ってきた人たち、それなりに面白いと思ってやってきたはずなのに、満足してないわけですよ。

もうそれくらいの事じゃ満足できなくて、どんどん欲望だけが成長してて、これくらいの店じゃ楽しめない。これくらいの服じゃ満足できない。こんなもんじゃ!こんなもんじゃ!どんどん欲望だけが育ってた事に気づいて、ヤバイ!と思った。

 

私が求めてる物って何?

わかんない!!!!!!!!!!!!

これが当時の答えだった。

 

 

この答えが自分から出た時、私の求めてる物(本当の自分が望んでる事)が少しずつ見えてきた。

 

劣等コンプレックスからしてた選択は、自分を満足させれない、続ければ続けるほど満足からは遠のいて、劣等コンプレックスの深みにはまってたよね。

 

自分の求めてるコトすら分かってない状態で、そんな自分で何ができるわけ?

今まで外に求めてた事は、どんどん自分に問うようになったよね。

 

そこから私ってモノへの探究は始まった。

今もこれからもしてくよね。

 

 

アドラー心理学では、自分の不完全さを認める事。

認めた上で、行動をすることが劣等コンプレックスを打ち砕いてく方法だ!

アドラー氏は言ってる。

私は過去を振り返り、自己探究(ヨーガ+心理学)を深めてくなかで、いままで拘ってた事(劣等コンプレックスに思ってたこと)これがどーでも良くなってしまい、コンプレックスのおかげで楽しい日々を過ごせてきてたんだよね~♪そう心が変容した。

そんな自分の不完全さを認めた頃を思い出した。

 

考えたり、認めれてない頃なら、劣等感ってワードが引っかかったでしょう。

でも、劣等感に対しての思考の統合は出来ていたから、劣等感ってなんだ?って今は忘れちゃうくらいだった。

劣等感ってモノに執着心や自我が反応しない状態。

これをアドラー心理学では、不完全さを認めるって表現されるんだだよね!

 

ちなみにヨーガでは、サンスカーラニローダって言ったり、ヴァイラーギヤ:無執着とも言います。

 

※ヨーガスートラより

⑨ YUTTHANA NIRODHA SAMSKARAYOR ABHIBHAVA PRADURBHAVAU NIRODHA KSHANA CHITTANVAYO NIRODHA PARINAMAH.
生起してくる印象(サンスカーラ:雑念)は、それに代わる新たな心の作用を生むところの抑止の努力の出現によって止滅される。この、新たな作用と心との結合の刹那が、ニローダ・パリナーマ(止滅転変)である。

⑩ TASYA PRASANTA VAHITA SAMSKARAT.
ニローダ・パリナーマの持続状態は、習慣づけによって確実となる。

⑪ SARVARTHATAIKAGRATAYOH KSHYAYODAYAU CHITTASYA SAMADHIPARINAMAH.
【心】の散動が滅衰して一点集中が実現してくると、サマーディ・パリナーマ(サマーディへの進展:三昧転変)が現れる。

心理を探究することは、瞑想(サマディー)に繋がってるんですよね^^

 

次回は、ほめてはいけない!?(人間はみな平等である)

このテーマで自分を見つめる日だ。

さて、心がどんなワードに反応するでしょう?